検索エンジンが人間を甘やかして駄目にする
インターネットが世に広まり、情報到達への入り口として検索エンジンが定番化してから既に数年の時が経ちました。今となっては単なる情報検索としてだけでなく、「5W1H」を的確に解決してくれるツールとして重宝されています。
例えば、ブラウザには標準機能として備わっている「ブックマーク」・「お気に入り」という機能がありますが、今となってこの機能を利用するシュチュエーションというのはどのくらい存在しているでしょうか?
ブラウザのツールバーで検索をしてしまった方が、目的のサイトへの到達時間が早かったり、操作が簡単だったりとしたような経験はありませんか?
これは検索エンジンがブラウザの機能を奪いとってしまったということではないでしょうか?
検索エンジンの機能向上はより多様化するユーザーのニーズがそうさせたとも言えなくはありませんが、広告収入をゆるぎないものとしたい検索エンジン側の思惑も当然ありました。
両者の思惑がガッチリとマッチングした為、これほどまでにインターネット社会に深く馴染んでいるのです。もし仮に検索エンジンがこの世になかったとしたのであれば、自分の探している情報をどういった方法で探すというのでしょうか?これほどまでに情報が溢れ返っている中で、この作業は困難を極める・・・いや、ほぼ不可能ではないでしょうか?
それほどまでに、インターネット上において検索エンジンというものは必須のツールになっているのです。
逆に考えると、それほどまでに人は検索エンジンに依存しているということにもなります。これはとても怖いことではないでしょうか?悪い例えになってしまいますが「麻薬」の様な存在とも言えます。常習性が有り、そして依存してしまう。一概には言えませんが、「考える」という行為自体を薄めてしまう存在な気がしてなりません。
「検索エンジン」というツール、その考え方の概念が頭と体に染み付いてしまうと、検索エンジン中毒の末期症状となってしまいます。自分で考えるという行為を怠る体質になってしまうのです。何かわからないことや、調べものがあったのなら検索エンジンを利用して検索しませんか?仮に検索エンジンというものが存在していなかった頃であったとしたのならばどうしたか?自分の頭と体を駆使して調べ物を行うでしょう。
例えて言うのであれば、解答つきのドリルを解答を見ながら解いていくような感覚です。
携帯電話などの漢字変換機能なども、同様の症状を引き起こします。書くことの出来ない漢字も、読みを入力すれば漢字に変換してくれる。大変便利な機能ですが、どのような漢字を書くのかということを頭で考えなくなる体質になってしまっているのです。
とても便利で身近にあるだけに、この依存性からは容易く逃れることは出来ません。
けっして検索エンジンを否定しているわけではないのですが、唯一無二の絶対的な存在としてしまうのはとても危険なのではないか?と問題提起をしているだけです。
(※インターネット上には、嘘の情報も数多く存在しているわけですから。)
もちろんユーザーには選択権があるわけですから、検索エンジンにしばられるか否かはユーザー次第なのですが、現時点で検索エンジンにとって変われるようなサービスは聞いたことも、見たこともありません。
利用者側のモラルを向上させるべきなのか、それとも検索エンジンに競合するサービスの出現を待つべきなのか、能動的か受動的かの違いですが、この記事を読まれたアナタはどちらのタイプですか?